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超入手困難 世界初【橋本武編『銀の匙研究ノート 改訂版』】灘中 1968年 非売品 東大・京大合格の原動力 伝説の教師による幻のテキスト

『超入手困難 世界初【橋本武編『銀の匙研究ノート 改訂版』】灘中 1968年 非売品 東大・京大合格の原動力 伝説の教師による幻のテキスト』はセカイモンで8593f492から出品され、537の入札を集めて01月06日 16時 52分に、19500000円で落札されました。即決価格は19500000円でした。決済方法はに対応。山口県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。

超入手困難 世界初【橋本武編『銀の匙研究ノート 改訂版』】灘中 1968年 非売品 東大・京大合格の原動力 伝説の教師による幻のテキスト
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商品説明




超入手困難 世界初【橋本武編『銀の匙研究ノート 改訂版』】灘中 1968年 非売品 東大・京大合格の原動力 伝説の教師による幻のテキスト

商品説明
銀の匙研究ノート 改訂版 橋本武編(灘中学校教材(非売品)、1968年4月発行、全204ページ)の出品です。

―謹啓 親愛なるあなたへー

【世界的に極稀な灘中・高の伝説教師である橋本武氏による『銀の匙研究ノート 改訂版』】
本商品は、東大や京大などの難関大学進学で突出した実績を誇る名門である、灘中・高で50年間教鞭を取った、伝説の国語教師、橋本武先生が(1912~2013)、『銀の匙』の授業を行う際に使用したテキスト『銀の匙研究ノート』と言う、入手が極めて困難な、一生に一度あるかどうかの幻レベルの商品になります。

今から約10年前、灘中・高における橋本先生の指導方法に対してメディアなどが注目して、大々的に取り上げられ、その影響で橋本先生の授業に関する著書なども出版されて、橋本先生が一躍有名になったことは記憶に新しいことと思います。
クローズアップされた橋本先生の国語の授業と言うのは、教科書を一切使わずに、中学3年間で中勘助氏の文庫本、『銀の匙』を1冊読み上げるというもので、単に作品を精読するだけでなく、作品中の出来事や主人公の心情の追体験にも重点を置き、毎回配布されるガリ版刷りの手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛けが施され、様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされておりました(本商品はガリ版刷りではなく、改訂に改訂を重ねた、印刷所で印刷された1968年改訂版バージョンになります)。
こうした授業を地道にやってきたおかげか、灘高等学校の進学率は飛躍的に向上し、1968年には東京都立日比谷高等学校を抜いて東大合格者第1位に躍り出て、橋本先生はまさに東大や京大などの難関大学進学の原動力となります。
今もなお、灘高等学校が東大や京大、医学部などに数多くの人材を輩出していることはご存知のことと思います。

『銀の匙』の授業や『銀の匙研究ノート』について説明する前に、橋本先生のプロフィールについて触れる必要があるので、時系列に述べていきます。

【橋本先生の生い立ち】
橋本武先生は、1912年(明治45年)、京都府宮津市で、履物の製造販売を営む商家の9人兄弟の長男として生まれました。
橋本先生の父親は、履物作りの職人で仕事には非常に熱心でありましたが、大酒飲みで飲みすぎると取り乱すことも多かったそうです。
橋本先生の母親は農家の生まれで、女学校に行きたかったが両親がそれを許してくれなかったものの、勉強好きだったことから、橋本先生が勉強したり成績が良かったりすることをとても喜んでくれたそうです。

橋本先生は、子供の頃、病弱だったそうで、その反面、勉強は得意で、その中でもやはり好きな教科は国語。
好きになったきっかけは、小学校3年生の時、受け持ちの先生が授業中に国定教科書をほったらかして、真田幸村の武勇伝、戦国時代版弁慶=三好清海入道などの英雄豪傑が活躍する講談本を読んでくれたことがあったことから、そうしたものにも興味を持ち始め、橋本先生も教科書よりも講談本のほうがよっぽど面白かったと述懐しております。
ただ、そうした講談本を聞いているだけではだんだんと物足りなくなったので、自発的に読みたくなり、そこで、母親に、本を買ってもらうようにとねだり、母親からしてみれば講談本でも何でも自分の子供が本を読んでくれるのが嬉しいものですから、すぐに本を買ってくださったわけです(父親も橋本先生のために本棚を作ったそうです)。
その読んだ本と言うのが、『東海道中膝栗毛』『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などでした。
橋本先生は、こうした読書だけでなく書くことも好きだったようで、その書くことが好きになったきっかけが、綴り方の授業において、たくさん文章を書けば先生が褒めてくれて三重丸をくれるということだったので、そうしたことが嬉しいので、また喜んで文章を書いて見せたらまた丸をくれる、といった指導方法だったので、そうしたことから読み書きが自然と好きになったわけです。

橋本先生は中学3年の3学期に慢性腹膜炎にかかり、その間ずっと学校を休んでいました。
痛くも苦しくもないが横になっていないといけない病気だったので、退屈しのぎに時々本を読んでいたその時に、たまたま家に、母親が読んでいた『主婦之友』と言う雑誌があり、特集記事が「家庭療法」だったそうで、それをパラパラめくってみると、偶然にも腹膜炎の療法が載っていたそうです。
それは、米酢に生卵を殻ごと漬けておくと、殻から細かい気泡が出てくる。殻が柔らかくなったらそれは捨てて、残りを混ぜたものを1日3回分服用すると言うものです。
実際にそのやり方で作って飲んでいたら、病気が治ってしまったわけです。
しかしながら、同時期に近所で腹膜炎にかかった同じ年頃の女の子が2人は残念ながら共に亡くなってしまったそうです。
同じ病状で、同じ医者にかかり、同じ治療を受けていたのに、治ったのは橋本先生だけです。
そうです、橋本先生だけが生き残ったのです。

【東京高等師範学校に見事合格】
橋本先生は、中学4年の時、父親が他人の借金の保証人になってしまったことから家は破産し、「学業はあきらめて丁稚奉公に行くしかない」と思っていた時、中学の担任が「橋本にはどうしても勉学を続けてもらいたい」と、町の医師の家に、中学卒業まで家庭教師として住み込ませてもらえるようにと頼んでくれたそうで、橋本先生は住み込みで家庭教師をしながら中学校に通っていたわけです。
ただ、家庭教師をしていたものの、その住み込み先の息子さんとは馬が合わなかったらしく、そのことを案じた、住み込み先の母親が家庭教師から別の仕事に変更してくれたそうです(病院の掃除など)。
勉強時間を以前よりも確保できるようになった橋本先生は、進学に向けて着々と準備を進め、超難関の東京高等師範学校に見事合格。
上京し、東京高等師範学校に入学したものの、苦学生のため、勉強しながら家庭教師をしていたわけですが、授業時間以外のほとんどを子供相手にしないといけなかったことから、橋本先生が学問に打ち込む時間がほとんど取れず、焦り始めたわけです。
自分の勉強時間を確保する必要性から家庭教師を辞め、住処と仕事を同時に失ったある時、漢字研究の第一人者、諸橋轍次先生の講義ノートを整理するいわゆる授業の補助の仕事や、世界最大の漢和辞典である『大漢和辞典』の編纂の仕事を手伝うようになり、それと同時に一軒家に住むことも許されたわけです。
『大漢和辞典』の編纂の手伝いは主に例文の出典探しだったようですが、気の遠くなるような徹底的に調べ上げることをこの仕事を通じて学んだそうです。
こうした経験は、後の『銀の匙』の授業に繋がっていくわけです。

【灘中学校に赴任】
橋本先生は、1934年に東京高等師範学校を卒業します。
東京高等師範学校の学生は就職活動をする必要はなく、と言うのも、その当時は、全国に散らばったOBのネットワークにより、教授が学生の希望に沿って赴任先の学校を決めていったわけです。
まわりの同級生は赴任先が次々と決まり、東京を去っていく中で、橋本先生は、教授から「金沢の公立中学に口がある」と聞いていたので正式な辞令が出るのを待っていたわけですが、4月に新学期が始まって、ようやく教授に呼ばれ、金沢の口はダメになったと聞かされ、その代わりに神戸の私立中学に赴任するように勧められます。
そうです、その神戸の私立中学こそが、灘中学だったわけです。

しかし、同級生がみんな当然のように公立の学校に赴任している中、その当時、私立は公立よりも格下と見なされていたわけであり、灘中学校は今でこそ超名門ですが、その当時はむしろ落ちこぼれも多い学校だったわけです。
とは言え、他に行き先のない橋本先生は神戸の灘中学校へ行くしかなく、教授から「私立でも将来性のある学校だから」や「2、3年すれば呼び戻すから」と言う慰めの言葉を受けて、神戸の灘中学校に赴任したわけです。
橋本先生は1934年~1984年に退職するまでの50年間、灘中学校・高等学校で教鞭を取り続けました。

灘中学校は、1928年に白鶴・菊正宗・桜正宗の3つの酒造会社が出資して出来た私立校で、創立当初は公立の神戸一中のすべり止めと言う位置づけでした。
1934年、灘中学校に赴任した橋本先生でしたが、実際に行ってみると、灘中学校には最初から好感を持ったそうです。
と言うのも、灘中学校の初代校長である眞田範衛氏は東京高等師範学校のOBだったわけであり、橋本先生に対して『先生も10年勤めなければ、一人前とは言えません』とおっしゃって、灘中学校は創立して間もない学校でしたが、眞田校長は『日本一の学校にしてみせる!』という強い情熱を持っていて、橋本先生からしたら将来性を感じられる素晴らしい学校と言う印象があったからです。
眞田校長は、橋本先生のような新米教師に対しても一切指図をせず、教室を覗きに来ることもなく、すべてを任せてくれました。
当時の灘中学校は、一教科一教師で入学から卒業までの5年間持ち上がり制で(これは戦前の灘中の話です、戦後は中高6年間持ち上がり制)、授業の内容もすべて自分で自由にすべて決めてよいと言う、いわばオリジナルの授業を組むことができたわけです(それだけ大きな責任を伴ったとは思いますが)。
橋本先生は、こうした灘中学校の自由な授業や校風、眞田校長の熱意が大変気に入っていて、やりがいも感じていたわけです。
橋本先生も、眞田校長の期待に応えるため、情熱を持って授業を行ったわけです。

1945年、第二次世界大戦終戦を迎え、灘中学校がある神戸の被害は甚大でありましたが、灘中学校は奇跡的に無事でありました。
ただ、その当時、橋本先生が使用していた国語の教科書は、内容的に国家主義などの理由により、その教科書の3分の2は墨で塗りつぶされて真っ黒になってしまいました。
食糧事情など逼迫した状況下で育った子供たちに、どういった教材を使えばいいか、どんな授業をすればいいか、暗中模索の日々が続くわけです。

【『銀の匙』授業の誕生】
1947年、GHQの指示により全国において教育制度改革が実施され、現在の6・3・3・4制に統一されます。
灘中学校は高校を新設して中高一貫教育としましたが、戦前の教育方針と同じように持ち上がり制の一教科一教師というやり方は変わらず、中高6年間持ち上がり制が受け継がれます。
前述したように教師の裁量で自由に授業ができると言うスタイルが後押ししたように、橋本先生は今度の新入生(中学1年、1950年入学組)から教科書を一切使わず、中学3年間、時間をかけて中勘助氏の『銀の匙』と言う1冊の文庫本を読むという授業をやってみようと考えたわけです。
橋本先生としては、学生の心に残るような授業をやってみたいと言う渇望があったわけです。

【橋本先生が授業で使った『銀の匙』】
『銀の匙』は夏目漱石氏の教え子である、中勘助氏(1885~1965)による、明治期の日本情緒あふれる東京下町を背景に、作者中勘助自身の子供時代を思い起こす自伝的小説、いわゆる散文作品であります。
『銀の匙』は大きく前篇と後篇に分かれ、前篇が53篇、後篇が22篇、計75篇から成ります。
1911年(明治44年)に前篇、1913年(大正2年)に後篇がそれぞれ発表されております。
『銀の匙』は、夏目漱石氏の推薦により、後に、東京朝日新聞に連載されるに至ります。
『銀の匙』岩波文庫版の和辻哲郎氏の解説によると、『銀の匙』に対する夏目漱石氏の評価として、「漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常な彫琢があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した」ことが述べられております。

橋本先生が『銀の匙』をテキストにした大きな理由として、

・主人公が十代の少年であり、生徒たちが自分を重ね合わせて読みやすい
・夏目漱石が激賞したほど日本語が美しい
・明治期の日本を緻密に描いており、時代や風俗考証の対象になりやすい
・新聞連載であったため、一つの章が短く授業で取り扱いやすい
・やや散文的に書かれているため寄り道しやすい

が挙げられ、数多くの本を読破してきた橋本先生が特に感銘を受けた作品が『銀の匙』だったわけです。
『銀の匙』は、夏目漱石が「綺麗な日本語」と褒めたほど、美しい文章で書かれていて、それが新聞連載小説だったためか、長すぎず短すぎず、教材として最適であり、各章に表題をつけられるのも都合がいい、さらに、内容的にも、中勘助氏の自伝的小説で子供が成長していく過程が描かれているので、生徒は、自身の経験と主人公の気持ちとを重ね合わせながら読み進めることができると言う利点があるということで、橋本先生は、『銀の匙』を教材としたわけです。

【精魂込めて作られた『銀の匙研究ノート』】
橋本先生は、その『銀の匙』の授業を始める一年前から、授業を行うための入念な準備が始まり、悪戦苦闘の日々が続いたわけです。
授業を進めるために、学生たちが躓くであろう語句や、読む上でのポイントなどをまとめた手引きをあらかじめ作っておこうと、橋本先生自身が調べてもわからない言葉の意味を、実際に作者の中勘助氏に手紙を通じてお聞きする等、綿密な準備の末、出来上がったのが、『銀の匙』世代の大切な宝物となる『銀の匙研究ノート』だったわけです。
『銀の匙』の文庫本と、手引書である『銀の匙研究ノート』の2冊を使った『銀の匙』授業が、1950(昭和25)年から開始されました。

前述したように、灘中・高は、一教科一教師で入学から卒業までの6年間持ち上がり制であることから、授業の内容もすべて自分で自由にすべて決めてよいと言う、いわばオリジナルの授業を組むことができたわけであり、よって橋本先生の『銀の匙』の授業を受けることができた学生と言うのは、ごく限られていたわけです。
橋本先生の『銀の匙』の授業は30年間に及びましたが(1950年~1980年)、元々生徒数の少ない、しかも6年一貫繰り上がり同一教師制を敷く灘中・高のシステムによって(一学年約200人)、橋本先生の『銀の匙』の授業を実際に受講できたのは、30年間でおよそ1000人あまり(『銀の匙』世代5代目である1980年卒業生を送った後、橋本先生は時間講師として教鞭を取っており、よって1980年4月~退職する1984年3月までは『銀の匙』の授業は行っていない)。

橋本先生の『銀の匙』授業を実際に受けることができたのは、

新制八回生(1950年入学、1956年卒業、『銀の匙』世代初代)
新制十四回生(1956年入学、1962年卒業、『銀の匙』世代2代目)
新制二十回生(1962年入学、1968年卒業、『銀の匙』世代3代目)
新制二十六回生(1968年入学、1974年卒業、『銀の匙』世代4代目)
新制三十二回生(1974年入学、1980年卒業、『銀の匙』世代5代目)

に限られたわけです(『銀の匙』世代初代~5代目)。

ところで、『銀の匙』の授業の際に使用した、橋本先生オリジナルの『銀の匙研究ノート』には、学生たちが抱くであろう疑問にもドンピシャに答えていて、『銀の匙』が学生たちから隔絶された世界ではなく、実は自分たちにとって身近な話であることを理解させるような、読み進めるためのヒントが随所に盛り込まれております。
『銀の匙』の文庫本に記載されている語句一つ一つから、横道にそれていき、例えば、日本古来の伝承から、アラビアンナイト、中国の兵法などなど、『銀の匙』から自由にシフトしていく世界に、学生たちも次第に魅了されていったわけです。

【『銀の匙』授業の実際】
橋本先生が授業で大切にしていた点を列挙してみると、

・寄り道をする
・追体験する
・徹底的に調べる
・自分で考える

橋本先生の『銀の匙』の授業は、ただ単に『銀の匙』を読み進めて、文章に出てくる事柄を教えるだけでなく、学生自身が楽しみながら学べるような様々な仕掛けが施されておりました。
それは、前述したように、一年かけて橋本先生が行ってきた『銀の匙研究ノート』を作成するプロセスを、学生にも追体験させるもので、例えば、授業において、『銀の匙研究ノート』と題したプリントを配布して書き込ませながら進めていったり、学生自身が読んでいてわからない語句の意味を自ら調べたり、各章ごとのタイトルをつけたりするなどです。
自分で考えたり、調べたり、時には周りの学生同士で話し合ったり、時には大きく横道にそれ、例えば、文章に駄菓子屋の話が出てくれば、橋本先生が実際に駄菓子を配って教室で食べたり、凧揚げの場面が出てくれば、さすがに国語の授業ではできないので、美術の先生に協力を仰いで、美術の時間を使って、実際に凧を作って揚げてみたこともあったわけです(いわゆる国語と美術のコラボレーション)。

このような経験を通して、学生は、自分で体感し発見したことがあるわけですから、自然と興味を持ち、楽しみながら学んでいったわけです。
遊びの要素を取り入れたものですから楽しいわけですし“遊ぶ”と“学ぶ”は同じことと橋本先生はおっしゃいます。
しかしながら、授業は横道にそれてばかりで、スローペースでしか読み進められないので、時には2週間で1ページしか進まないということもあったそうです。
橋本先生は授業中に学生に対して、下記のことをおっしゃったそうです。
「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなります。少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。自分で調べて発見したことは一生の財産になります」

橋本先生が『銀の匙』の授業において実践したことは、いわゆる「スローリーディング」と呼ばれ(じっくり精読すること)、今でこそ認められている授業方法でありますが、その当時としては、「灘中・高が教師の裁量で自由にやらせてもらえる学校だからこそできたわけであり、他の学校だったら実現不可能」と橋本先生はおっしゃいます。
橋本先生は、『銀の匙』の授業を始める前に、「国語は好きですか?」と学生たちに聞いたそうで、それによると、たいていどの世代も5%の学生だけが「好き」、5%の学生が「嫌い」、そして残りの90%の学生が「どちらでもない」と答えたそうです。
そして、『銀の匙』の授業を始めて3年後、学生たちにもう一度、「国語は好きですか?」と質問すると、95%の学生が「好き」と答えたそうです。
こうした学生たちの国語に対する認識を変えさせたのは、ひとえに橋本先生のたゆまない努力や情熱、さらに学生を第一に考える思いやりがあったからこそだったわけです。

【『銀の匙』授業の効能】
こうした橋本先生の『銀の匙』の授業を受講することにより、身に付けられる能力として、橋本先生は以下のようなことを挙げております。
一つの言葉に注目して、それに類似した言葉を集めると言う経験をすることで自然と語彙力が増強される。
各章のタイトルを自分なりに考えると経験を通して思考力が深化し、その章で言わんとしていることを字数制限付きでまとめることで文章力が向上し、本来あるものを逆から覚えるなどと言った知的な遊びを取り入れることによる記憶力増強、自分なりに語彙を調べたり課題を与えられそれをリサーチすると言うように調べる力が促進され、一つの言葉をより掘り下げることで奥深さを認識し、それによって一つ一つの言葉の重要性や意味に敏感になり、主人公の行動を追体験することで感情移入度が増し、自然と物語の世界に没入するような経験を通じて読解力が増強され、寄り道や追体験を通して学ぶことの楽しさを知り、さらに学んでみたいと言う知的好奇心の促進、と言うように様々な効果が見出されます。

【『銀の匙』世代の大学進学合格実績】
こうした橋本先生の『銀の匙』授業の実践により、学生たちの国語に対する認識を一変させて、あらゆる強化の土台である国語力を身に付けさせた結果、灘中・高は驚異的な進学実績を見せます。
『銀の匙』世代の合格実績は下記の通りです。

新制八回生(1950年入学、1956年卒業、『銀の匙』世代初代)は東京大学に15名が合格、全国高校別の東大合格ランキングでも22位に躍進(ちなみに1949年度の灘高校の東大合格者はゼロ)
新制十四回生(1956年入学、1962年卒業、『銀の匙』世代2代目)は京都大学に52名の合格者を出し、灘高校初の京大合格者数日本一の快挙を成し遂げると同時に東大合格者も39名と急伸
新制二十回生(1962年入学、1968年卒業、『銀の匙』世代3代目)は東大合格者数日本一に(132名)
新制二十六回生(1968年入学、1974年卒業、『銀の匙』世代4代目)は東大合格者数日本一(120名)
新制三十二回生(1974年入学、1980年卒業、『銀の匙』世代5代目)は東大合格者数日本一(131名)

このように、まさに名実とともに、灘中・高はわが国有数の進学校に躍り出たわけです。

ところが、こうした輝かしい合格実績とは裏腹に、灘中・高は「人間性を無視した勉強だけの学校」「灘校には体育館も音楽室もない」のように根も葉もないことを新聞などに書かれ、いわゆる世間からの嫉妬からか「ガリ勉」「詰め込み教育」とマスコミにレッテルを貼られた時期もあって、そのことに関して、橋本先生はずっと心を痛めていたそうです。
灘中・高の実際はそれらのレッテルとは正反対で、灘校ほど自由な学校はなかったわけです。

紆余曲折を経て、今こうして『銀の匙』の授業のことが世間に広まったことにより、灘中・高は「ガリ勉」「詰め込み教育」だと言うレッテルも剥がれ、実際は自由な校風であることを認識されるようになって、橋本先生は心から喜んでいたそうです。

橋本先生は、1980年に『銀の匙』世代5代目の卒業生を送って、その後、時間講師として、灘中生に『徒然草』などを教えたりして、1984年3月に、灘中・高を退職するに至ります。
灘中・高退職後も、精力的に執筆活動や、古典などを教えておりました。

【橋本先生から学んだ事が実生活に役立つ】
橋本先生の『銀の匙』の受講した教え子の中から、例えば、最高裁判所事務総長(山崎敏充氏)、日本弁護士連合会事務総長(海渡雄一氏、福島瑞穂氏のご主人)、神奈川県知事(黒岩祐治氏)、東京大学総長(濱田純一氏)などなどと言うように、橋本先生は、政財界(医学界も)などに数多くの様々な優秀な人材を輩出しております。

橋本先生の『銀の匙』世代の教え子は、総数で約1000人ほどですが、前述したように、実社会で目覚ましい活躍をされているわけであり、そんな彼らが、実際に『銀の匙』の授業を受けて、そこで身に付けた力の凄みを感じたのが、実社会に出て、30歳くらいになってからだそうです。
東京大学総長を務めた濱田純一氏は(1962年入学、『銀の匙』3代目)、橋本先生の『銀の匙』の授業に関して、

「『銀の匙』で橋本先生がやってくださったのは、僕らが、例えば大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。(中略)ある一つの言葉にこだわることで、その背後になる大きく広がっている概念や感覚や考え方と、つながってくるわけですよね。(中略)ある言葉なり、ある出来事なりを、いろいろな事柄と結びつけながら考え、深めていく、あるいはその状況を理解していく、そういう文脈を捉えていくといった感覚や方法は、私の場合、『銀の匙』でつくられたのかなあという気がします」

と言うように、橋本先生の『銀の匙』の授業を絶賛しております。

伊藤忠商事の吉川健太郎氏(1962年入学、『銀の匙』3代目)は、「先を急ぐより、物事の本質を掘り下げて、その根本原理、その背景にある理由を探求する大切さを学んだ」や、最高裁判所事務総長の山崎敏充氏(1962年入学、『銀の匙』3代目)も、「裁判官は究極のゼネラリストと言いますか、社会のあらゆる分野にわたる事象を扱わなければならず、そういうときに最後にものをいうのは法律知識ではなくて、広い意味での教養とか、そのことのベースにあるものの考え方、あらゆる物事をバランスよく解決していくという考え方の根っこを橋本先生に教えてもらったと思うんですよ」、さらに日本弁護士連合会事務総長の海渡雄一氏(1962年入学、『銀の匙』3代目)は、「授業でも、教えるというより、間口を広く浅くして、勝手にこちらで疑問をもつように、誰でも何かしらの興味の対象を見つけられるように、そこから自分でどんどんのめり込んでいけるように工夫していらっしゃった」と言うように、異口同音にしても、橋本先生の『銀の匙』の授業で学んだ事が、現在でも生きていることをおっしゃっております。

【橋本先生、再び『銀の匙』の授業を行う】
『銀の匙』の授業は今でこそ世間に知られているわけですが、それが世の中に初めて紹介されたのは、灘中・高OBである(『銀の匙』4代目、1968年入学)、神奈川県知事の黒岩祐治氏が、2005年に著書『恩師の条件』において橋本先生の『銀の匙』授業を取り上げたことにより、それが世間に広まり、マスメディアも注目し、橋本先生の『銀の匙』授業関連の本も出版されるに至ります。
さらに、こうした注目を集める中、橋本先生は、2011(平成23)年6月、「土曜講座」と言う特別授業で、現役の灘中学生に向けて『銀の匙』の授業を行ったわけです。
橋本先生の「もう一度、灘の教壇に立って『銀の匙』の授業をしてみたい」という夢が叶った瞬間であり、橋本先生もすでに時の人でしたから、『奇跡の授業なんて、こんなものか』と思われたら立つ瀬がないと思い、いろいろ思案して、気合を入れて授業に臨んだそうです。
そして、2013年、橋本先生は101歳の大往生を遂げるわけです。

【本商品『銀の匙研究ノート』の中味について】
本商品は、何度も申し上げるように、『銀の匙』の授業の際、『銀の匙』岩波文庫版と一緒に使われた、橋本先生オリジナルの『銀の匙研究ノート』であります。
本商品はだいたいA4サイズで、200ページ強のテキストになります。
本商品の表紙には、灘中の学生が製作した版画が印刷されていて、中味を見ますと、可愛い手書きのイラストや、段組、コラムの配置など、それらが実に絶妙なもので、考え抜かれたレイアウトであり、細部まで徹底して工夫が施されており、『銀の匙研究ノート』と言う下地があるおかげで、学生たちは板書写しの煩わしさから解放され、学生たちがやるべきことに没頭できるような用意周到な仕掛けが、『銀の匙研究ノート』にはあるわけです。

『銀の匙研究ノート』が作成された当初は、手書きのガリ版刷りでしたが、改訂に改訂を重ねて、印刷技術の向上などもあって、本商品の場合、記載されている文字は写植であり、印刷所で製本されたものになります(写植とは 正式には「写真植字」と言い、写真の原理を用いて印字する方法のことを指し、いわば文字の写真で、文字の形を撮影して感材に焼き付けたものであります、昔は出版された本のほとんどが、この写植を使って文字を印刷していたという時代があり、その当時としては非常に優れた技術で、滑らかで美しいと言うのが特徴)。
印刷所で製本されたテキストとは言っても、どこか素朴な印象で、手作り感が満載であります。
本商品は、1968年発行の改訂版であり、実のところ、灘中・高OBの神奈川県知事の黒岩祐治氏が使ったものも1968年改訂版だったそうで(黒岩氏は『銀の匙』世代4代目、1968年入学)、印刷所で製本されたものを使っていたことを、黒岩祐治氏は、著書『恩師の条件』(『恩師の条件』の改訂版である『灘中 軌跡の国語教室』でも)で語っております。

本商品の中味について簡単に説明致しますと、前述したように、『銀の匙』は前篇(53篇)と後篇(22篇)に分かれ、本商品『銀の匙研究ノート』もそれに準拠した形で、前篇53章・後篇22章から成ります(前篇と後篇に分かれておりますが、それらは1冊のテキストとして収まっております)。
まず、冒頭に、それぞれの章において何について書かれたものか、自分で題名を決める欄があり、自分で考えた題名の他に、授業で決めた題名の記入欄もあります。
それぞれの章には、予め説明されている箇所やコラム、学生自身が書き込みをする箇所などがあり、それぞれの章に記載されているものを下記に列挙しますと、

【内容の整理】それぞれの章の、その主題について、どんなことが、どんな順序で書いてあるかをまとめる
【語句の意味】それぞれの章に出てくる語句の意味や説明が予め書かれている(橋本先生がどうしてもわからなかった語句については、『銀の匙』の著者である中勘助氏に直接お聞きして、回答していただくこともあったそうで、その中勘助氏の直接の回答が「中先生から」と言う記載でもって、本商品『銀の匙研究ノート』に反映されている)
【注意すべき語句】それぞれの章の中から抜き出した語句について、その意味や使い方などどんなことでも説明できるように記入する
【短文の練習】ここで取り上げた言葉を用いて短文をいくつか作り、書き留める
【鑑賞】文の書き表し方のうまい部分を書き写して、どんな点で感心させられるのか、その手がかりが示してある
【参考】内容と関連のある色々な事柄を、様々な文献や資料から引っ張り出している、いわゆる参考資料(コラム)、学生の興味関心をさらに引き立てている、『銀の匙研究ノート』のキモとなる項目(橋本先生が「青蛙」(せいあ)と言う号を名乗って、自らコラムを書いている欄もある)

上述のように、『銀の匙』の本文に対して、本商品『銀の匙研究ノート』においては、様々なアプローチが試みられていて、様々なことに興味を持たせるのはもちろんのこと、一見関係ないと思いながら、実は根本では繋がっていると言う、いわゆる物事の連関性を認識させ、さらに文章力・読解力・観察力・判断力・推理力などと言った総合的な能力を身に付けるのにふさわしい、細心の注意を払いつつ、かなり綿密な構成になっております。
受験勉強は単に記憶一点張りではなく、観察力、判断力、推理力、総合力などの結集がモノをいうわけであり、その土台になるのが国語力であり、「国語力があるのとないのとでは、他の教科の理解力が大きく違ってきますからねえ。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの真髄に近づいていこうとする、前に進もうとする力こそが“学ぶ力の背骨”であり、国語力だと思います」、さらに「社会に出て『自分はこんな人間だ』とか『ここでこんなことをしたいんだ』と表現する力も国語ですから。国語は“生きる力”と置き換えてもよい」と言うように、国語力の有無で人生が大きく変わってしまうことを、橋本先生は力説しております。
一つの語彙や事項に対して深く掘り下げたりすることにより、物事が大きな広がりを見せ、一面的ではなく様々な見方ができると言う(複数の視点を持つ)、結局のところ、多面的なモノの見方を養成すると言うのが、橋本先生の根幹にあったわけです。
こうした能力を養成するために、本商品『銀の匙研究ノート』は、橋本先生があらゆる本や資料を丹念に狩猟し(本商品『銀の匙研究ノート』を見れば、橋本先生がどれだけ稀に見る読書家であるかがわかる)、時には『銀の匙』の著者である中勘助氏に質問する等、細心の注意を払って苦心しながら作り上げた、学生のことを第一に慮(おもんばか)った、最高傑作のテキストであります。

橋本先生の知名度が全国レベルになって、『銀の匙』関連の書籍も出されるようになり、『銀の匙研究ノート』の一部が断片的に触れられておりますが、さすがに、それだけでは、『銀の匙研究ノート』の全貌を語ったことには到底なりませんし、まさに中途半端です。

本商品『銀の匙研究ノート』は、名門灘中に入学が許され、しかも橋本先生が担当した学年だけが使用できた非売品であり、通常は世に出回ることはありません(本商品の出品は、一生に一回限りかもしれません)。

ちなみに、本商品に関して、国立国会図書館、国内の美術館や博物館と繋がっている美術図書館横断検索、日本国内の大学図書館と繋がっているCiNii Books、世界中の図書館・博物館・美術館と繋がっているworldcat、googleで検索してみると、全世界で所蔵しているのは、神奈川近代文学館のみになります。

本商品は、世界中の図書館などにおいて、ほとんど所蔵されていないほどに極めて珍しく、ヤフオクはおろか世界初出品と言う程の大変貴重な国語関連商品であります。

全体的に古書の相場が下がってきていて、逆に本商品のような参考書や文書・紙物などの相場がドンドン上がってきている現在において、どんなモノに価値を見出しているのか、その価値観が変わってきております。
参考書や文書・紙物などはそのほとんどが捨てられる運命なので、現存しているものが少ないですが、資料的にも重要なものが多分に含まれております。
現に、我が国のみならず、海外でもこうした参考書や文書・紙物などの相場が昔では考えられないくらいに上がっていることから、参考書・紙物や文書・附録などが見直されて、ますます価値が上がっていくことになるでしょう。
もしかしたら、こうした参考書や文書・紙物が一般庶民では買えなくなる日が来るかもしれません。

確かに、『銀の匙研究ノート 改訂版』は、過去の遺物と思われる方もいらっしゃるでしょうし、その他の著作や資料などで代替できると考えて、わざわざ落札する必要もないと言うお考えもあることでしょう。

しかしながら、50年以上の時を経た『銀の匙研究ノート 改訂版』の独特の雰囲気は格別であり、使われている紙や印刷の刷り具合など、筆舌に尽くしがたいほどの存在感や何らかの息吹を感じ取ることができますし、何物にも替えがたいものがあります。
本商品の良さは、本商品を実際に手にしたあなたにしかわからないことでしょう。
本商品を含めた『銀の匙研究ノート 改訂版』は、膨大な数の参考書・演習書・資料の中でも、直接目にすることに関して、最もアクセスが難しいでしょうし、本商品自体も極めて少ないですから、天文学的に入手が難しいでしょう。
何度も申し上げますが、本商品は、日本を含めて世界中の図書館などにほとんど所蔵されていない国語関連資料であり、極めて僅少部である点が大変ポイントが高いわけです。
今回の出品は奇跡的ですし、まさに一期一会の出会いになることでしょう。

私は、30年近くコレクションとして古書や美術品などを収集しておりますが、本商品『銀の匙研究ノート 改訂版』を見かけたことは、もちろん一度しかありません(灘中・高の関係者に譲っていただきました)。

譲って頂いた時は、本当に驚きましたし、『銀の匙研究ノート 改訂版』がこのような形で制作されていることを初めて知りました。

私が、本商品に初めて出会った時の喜びと感動をあなたにも味わって欲しいですね(何かオーラを感じるんですよね)。

一生忘れられないと思いますよ。

本商品である『銀の匙研究ノート』は、ずいぶん前に、灘中・高の関係者から譲っていただきました。
橋本先生が、今のような全国区になる前の話です。
橋本先生が大変優れた教育者であることは、存じ上げておりましたが、こうして橋本先生の実績が正当に評価されて、個人的に大変嬉しく思います。
入手した当初は、『銀の匙』岩波文庫版と、本商品『銀の匙研究ノート』を照らし合わせながら、じっくり読みましたが、その後は、大切に保管しておりました。
私よりも、本商品『銀の匙研究ノート』を実際に手にして、教育界や個人的に役立てたいと思う方がたくさんいらっしゃるだろうと思って、今回出品した次第です。

【本商品を落札する意味】
モノを買う事は自分自身への投資であり、そのサービスへの共感と感謝を示すモノであり、短期的な目先のコストパフォーマンス(値段の安さ)ではなく、長期的な「価値」「思い出」「未知の体験」「ここだけでしか体験できない事/買えないモノ」「購入によって良き変化」に投資した方が最終的には安上がりです。
価格を理由にモノを買うという事は、長い目で見た「価値」ではなく、目先の「価格」に踊らされているだけで、自分に主導権がなく主体的ではないわけです(価値などをすっぽかして価格だけで選ぶのは主体的ではない)。
変に節約するよりも、自分が良いと思ったモノ、運命を感じさせるモノ、すなわち価値を感じさせるモノに出会った時にしっかりと対価を支払った方が自分が主体的に人生を生きている気がしますし、お金を使ったら使ったで、その分いかに稼ぐかと言う発想を持った方が建設的です(お金を使ったら使ったで、もっと稼ごうと前向きに考えるのがよろしいかと)。

モノを買う時、代金を支払って、モノを受け取るものの、消費行動としてはそれで終わりかもしれませんが、お金の流れと言う側面から見てみると、決してこれで終わりではありません。
代金を受け取った業者や個人などが、あなたから受け取った代金を元に自分たちのことだけではなく、長い目で見て世の中が良くなるように設備投資をしたり、良いモノを仕入れたり購入するなど、公にとって何らかの良き行動を起こすわけですから、あなたが代金を支払うこと、別の言い方をすれば、何らかの投資をすることは大きく言えば社会貢献になるわけです。
あなたがお金を使えば使うほど、そのお金が世の中を循環して、世の中が潤うわけですし、それだけ社会貢献することに繋がります。

本商品を購入して実際に使えば、『銀の匙』と言う作品の枠を超えて、様々な事象に対して放射線状に向かうような、いろいろなことに興味関心が出てきて、知的好奇心も旺盛となり、いろいろなモノの見方を習得できるでしょうし、物事を深く掘り下げて、徹底的に調べることが思いのほか楽しくなるでしょう。
さらに、好奇心を持ち、視点をいくつも持ち、探求心を持ち、深く読むことが実生活で大いに役立つことが実感できるでしょうし、橋本先生の本商品『銀の匙研究ノート』を通して、自分なりの教育方法や生きる上でのアプローチなど、様々なアイディアが編み出されるようなあなたに変身していることでしょう。

橋本先生のファンのあなた、灘中・高のOBのあなた、『銀の匙』にご興味のあるあなた、『銀の匙研究ノート』にご興味のあるあなた、灘中・高に興味ご関心のあるあなた、日本語に興味ご関心のあるあなた、国語に興味ご関心のあるあなた、橋本先生の教育方法にご興味のあるあなた、国語教育法について研究されているあなた、国語教育に従事しているあなた、稀少な国語関連本を求めているコレクターのあなたでしたら、お役に立ちますし、必ずやご満足していただけますし、自信を持っておススメ致します。

【追伸】
本商品とは全く関連がないのですが、ちょっとだけお伝えしたいことがあります。

まず、学習参考書に関わることですが、2016年と2021年に戸田城外(城聖)著『小国民常識読本ー新体制に適応せるー』が出品され、それぞれとで落札されました。
いずれも私が出品しました。
その落札価格は、この10年間のヤフオクの学習参考書関連においては、トップクラスに高いものです。

続いて、学習参考書と関係ありませんが、2022年3月24日にヤフオクにおいて『パワードコンボイ DXセット』が561で落札されました。
これは、いわゆる「おもちゃ」です。

さらに、ポケットモンスターと言う名称をお聞きになったことがあると思います。
ポケットモンスターとは、株式会社ポケモン(当初は任天堂)から販売されているゲームソフトシリーズの名称であり、また、同作品に登場する架空の生物の総称、そしてそれらを題材にしたアニメを初めとするメディアミックス作品群を指し、略称はポケモン(Pokemon)であります。

その中でポケモンのトレーディングカードが世界的に大人気で、高いものだと、で取引されているものもあります。
そのポケットモンスターのトレーディングカードの中で、「ポケモンイラストレーター」と言うカードが極めて稀少と言われております。
そのカードは、カードそのものに能力があるわけではなく(カードが数値化しているわけではない)、認定証に当たるプロモーションカードであります。
そのカードは、1997年から98年にかけて開催されたコロコロコミックの「ポケモンカードゲームイラストコンテスト」において優秀な作品だけに贈られたもので、配布数はたったの39枚です。
そのうち現存しているものが10枚程度と言われております。

その大変稀少価値のある「ポケモンイラストレーター」がヤフオクにおいて出品され、2020年11月12日に、2020年12月31日に、2021年1月15日にとそれぞれ落札されております。
・・のいずれもきちんと取引が行われております。
大半の人間からすれば、たかがカードと思うかもしれませんが、欲しい人間にとっては、いくらでもお金を出すと言う気構えなんです。
正直、このポケモンのトレーディングカードが価値があるかどうかよくわかりませんし、あくまでも私見ですが、前述した学習参考書やおもちゃ、さらにそのトレーディングカードよりも、今回出品した本商品『銀の匙研究ノート』の方が断然価値があると思っております。
それらと単純に比較できませんが、私が今回出品した商品の方が、稀少性や内容的にも大変優れていると言う考えから、このような値段で出品させていただきました。

本商品は、一生に一度出品されるかどうかの商品です。
本商品が出品取りやめになったら、あなたは、一生、このテキストを手にすることなく終わってしまうわけです(別の方が、別の機会に出品されたら奇跡だと思ってください)。
これはあまりにも勿体ない気がします。

値段の高低に左右されずに、ニュートラルな気持ちで、本商品の価値をわかってくださるあなたに落札していただきたいです(少なくとも本商品が、一般流通していた伊藤和夫氏の『新英文解釈体系』よりも圧倒的にレアであることは間違いありません)。
落札できる方は、相当限られてきますが、私のこのような考えに共感してくださるあなたとだけお取引ができることを楽しみにしております。

最後まで読んでくださり誠にありがとうございました。
心より感謝致します。
あなたの幸運を心からお祈り致します。
                                                                         ― 謹白 ―


【商品の状態】
経年による劣化により、表紙・裏表紙・背表紙にキズ、スレ、汚れ、ヨレがあります。
天・小口・地にヤケ、汚れがあります。
多少の開き癖があります。
表紙裏がヨレています(使用には全く差支えございません)。
紙がヤケております。
汚れているページもあります。
201ページと203ページが(2ページ)、ホチキス止めから外れておりますが、それらは元々糊付けされていてちゃんとくっついた状態なので(ホチキスから外れているもののページ外れはしておりません、ご安心ください)、問題ありません。
赤鉛筆による書き込みが、わずかに3ページ分ありますが(ほんのわずかな書き込みでほとんど目立ちません、使用には全く差支えございません)、それらが使用に差し障りのあることではなく、それら以外は特に問題はなく、まだまだ十分に読むことができます。

※本商品の説明文を作成するにあたり、伊藤氏貴著『奇跡の教室』(2010年、小学館)・橋本武著『灘校・伝説の国語授業』(2011年、宝島社)・黒岩祐治著『灘中 奇跡の国語教室』(2011年、中公新書ラクレ)を参考にさせていただきました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

注意事項
あくまでも中古品であることをご承知ください。
ノーリターン・ノークレームでお願い致します。
なお、評価内容の悪い方のご入札をお断り致します。
評価内容の悪い方のご入札はためらわず「入札取消し」をします。
もし、新規の方で落札される意思がある方(落札から3日以内にご連絡が出来て、落札から1週間以内に代金の振込が出来る方)は、質問欄から記入(落札する意思があること)をお願い致します。
新規の方で何のご連絡もなくご入札された場合はためらわず「入札取消し」をします。

支払方法
・ヤフーかんたん決済

その他
本商品のような一生モノは滅多に出品されません。
中途半端なものを安くたくさん買うのか、それとも一期一会と言われるほど超高額で一生モノと言われる高級品を買うのかでは、自分が置かれているステージが全く別次元であることはご理解いただけると思います。
あなたが新たに高いステージに歩みたい時、高い次元にいる自分に変身したいならば、本商品をご購入されることを自信を持っておススメ致します。
本商品をご購入することで、自分が今までとは全く違うと実感できるでしょうし(別次元の高いステージに到達しているということ)、あなたが高い次元にいる自分にふさわしいように弛まない(たゆまない)努力をすることになるでしょう。
本商品は、それだけあなたの人生を変えてくれる商品です。

発送詳細
送料は無料です。
高額商品のため、ゆうパックでお送り致します。
時間指定ができますので、指定がございましたら、何なりとお申し付けください。
ちなみに、時間指定する場合、ゆうパックの配達時間帯は以下の通りです。

午前中・12~14時・14~16時・16~18時・18~20時・20~21時

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